作ってみる6ーフィッシュカレーと苦い思い出
レモネードを作る時間がもうない、と嘆くことはない。 たとえ、自分が生きている間に、レモンをレモネードにできなくとも、その事実を知った誰かが、必ず、レモネードにしてくれる。
こんばんは。 Kiです。
今日は、私の大好きな南インドカレー作った記録です。
左がフィッシュカレー
右がバルタラッチャチキン
フィッシュカレーは、ゴマサバを使っています。
魚のカレーは、インドでは珍しくありません。
一方、日本のカレーライスでは、
イカ、エビ、ホタテなどが入ったシーフードカレーが一般的で、魚そのものが入ったカレーはあまり見かけません。
このフィッシュカレー、
入っている魚は、インドの料理法にならい、身を三等分にしてだけのもの。
よって、骨も多く、食べにくいですが、その分、魚の出汁が出て、深い味わいになります。
一方、バルタラッチャチキンは、ローストしたココナッツがベースのペーストを使っているので、香ばしくコクのある味わい。
この2つは、以前のポストに載せた、南インドカレーの本、「南インドとミールス」に載っているレシピを参考にしています。
この南インドカレーに欠かせない(と言われている)スパイスがあります。
これは通称で、本種名は、オオバゲッキツ、またはナンヨウサンショウ。 インド原産。
亜熱帯の植物なので、日本には自生していません。
我が家では、苗を購入して自宅で栽培しています。
というのも、乾燥品は簡単に手に入るのですが、生の葉は、入手が非常に難しいのです。
かろうじて、沖縄で小規模に栽培されているものが、東京・蔵前にあるインド食材専門店、アンビカショップで夏の間だけ売られているのですが、
保存も難しく、まとめ買いが出来ないという、貴重なスパイス。
カレーリーフ、という愛称で呼ばれていますが、香りはカレー、というよりも、ゴマの様です。
もちろん、なくても南インド料理は作れますが、あると、より本場に近づく。
ここで、フィッシュカレーにまつわる昔のお話を1つ。
今から約6年前。
元妻との離婚が成立し、子供とも離れ、生きる気力さえ失っていた頃。
インドとバングラデシュを放浪していました。
日本出発から3ヶ月近くが経ち、かなり旅慣れてきた頃、
その後乗合バスで、バングラデシュとの国境の町シリグリから陸路を歩いて国境を超え、
さらにバスでバングラデシュ北部の町、ラングプールに着いた時のこと。
バスの中で、1人の現地の青年が私に話しかけてきました。
「どこへ行くのか?」
「どうしてバングラデシュに来たのか?」
「ホテルはどこだ?」
とにかくうるさい。
適当にかわしたつもりが、ホテルがまだ決まっていない、と知るや、
「俺が紹介してやる」
と、バスを降りた私についてきました。
盗人?
それとも、騙し屋?
インドで多くの詐欺師や、麻薬の売人に接触された苦い経験から、警戒心マックスになっていた私。
それなのに、その彼に強くNO! と言えず、気づくと、その青年は私のホテルの部屋にまで入り込んでいました。
彼は、ホテルの部屋を見つけてあげたことを得意げに話した上、
「近くに美味しいレストランがあるから、連れってやる!」
と、これまた強引に私を近所のレストランへ連れて行きました。
そのレストラン。
落ち着いた雰囲気の、高級そうな場所。
これまで、一食100円程で済ませてきた私には、少なくともそう見えました。
そして青年は、勝手に次々と料理を注文。
そして出てきたカレーの数々。
未知の国、バングラデシュへ入国した緊張から、食欲はそれ程なかったにも関わらず、唯一美味しいと思ったのが、フィッシュカレー。
フィッシュカレーは、かなりサラサラのスープなので、お腹への負担も少ない。
ゆっくりとお腹をいたわりながら食べる私を横目に、青年はさっさと食事を済ませると、
「じゃ、帰るから!」
と、そそくさと店を出て行ってしまいました。
「やられた…」
全部のお会計を払わされてしまった私。
この時点で、バングラデシュの文化を何も知らず、「一杯食わされた」と憤慨していましたが、
何かをしてあげたら、その見返りを求めるのが自然、という、彼らの気質を理解できるまで、もう少しの経験と時間が必要でした。
それも今では懐かしい思い出。
このラングプール。
私が訪れたときは、平和な田舎町でしたが、
3年後、日本人男性が銃撃されて死亡という悲しいニュースがあり、
4年後には、私の放浪の最終地、ダッカでテロにより、日本人が7名犠牲になった。
あのときの様に、丸腰でうろつき回ったり、夜に繁華街を歩いたり、満員バスに乗ったりは、もう出来そうもありません。
無念ですが、ここ日本で、バングラデシュがいつか平和と安全を取り戻してくれることを祈りながら、
フィッシュカレーをまた作って食べて、バングラデシュを思い出す日々を送ります。