発想を変えてみる2ー強い父親でいるために
化学薬品を使って、一時的にレモンの消費期限を伸ばす事は出来る。 ただし、最も効果が高いのは、収穫前のレモンに、太陽の光をたっぷり浴びせることだ。
こんばんは。 Kiです。
今日はアメリカから1ヶ月、一時帰国したファミリー(父: アメリカ人、母: 日本人、息子2才、娘7ヶ月)のファミリーが我が家へ遊びに来てくれました。
やんちゃ盛りで、嫌いなものはいやいやして食べず、機嫌が悪くなると、仰向けになって泣き叫ぶ息子。
それでもさすが、ハーフの男の子は駄々をこねても可愛い!
そして、そんな息子をしっかりと抱き抱え、一緒に大好きな野球を携帯ビデオで見て笑う「父」の姿を見て、
「頼もしくなったなぁ」
としみじみ。
今から6年前。
「彼女」に日本へ呼び寄せられ、焼き鳥屋で紹介された時は、パーカッション専攻の大学を出て間もない、細身で穏やかな20代初めの青年。
いつのまにやら、父親として、時に厳しく、時に優しい父親へ変貌していました。
振り返って、私。
一度は父親になりながら、前妻の息子と生き別れた後、何か事あるごとに、
「たとえ別れていても、〇〇〇〇(前妻の息子の名前)に恥ずかしくない男であらねばならない」
との気概を持ってこれまで生きてきました。
だから、その支えがあったからこそ、
仕事上の厳しいプレッシャーや、辛い人間関係も、途中で諦める事なく、倒れるまで立ち向かえたのです。
しかし、最近では、父親として「こうありたい」と思う姿も変わってきました。
40代後半、という、比較的高齢で、息子に恵まれたからかも知れません。
今はこう思います。
「息子がトラブルに巻き込まれた時に、真っ先に助けに行ける、強い老人でありたい!」
息子が20歳の時、私は67歳。
その時自分は、身体が衰え、気力も失せて家に閉じこもっている様な父親には、死んでもなりたくない。
そうならないよう、身体を鍛えておかなければならない。
息子が生まれた今、発想を転換し、実行する必要をつくづく感じます。
折しも今、山口・周防大島町で行方不明になっていた2歳の藤本理稀ちゃんを、長年の経験と勘だけで探し当てた、「スーパーボランティア」尾畠春夫さん。
78歳にして、と、あまり年齢で人の行動力を計りたくはないのですが、それでも、あの生き生きとした姿は、
「ああ、自分もあの年齢になった時、こうなっていたい」
と憧れます。
ですが、私が一番、共感するのは、この人です。
若い頃から不摂生を重ねてきた身体を憂い、50歳にして、自転車を始めた男。
その動機は、2000年の冬、「雪崩にあった息子を、80歳の父親が吹雪のなか探し回り救出した」とのニュースを見たのがきっかけだとか。
「いざという時、自分は息子を助けるだけの体力があるのか?」
そう考えた挙句、身体を鍛えるために、「焦らずゆっくり」をモットーに、走り始める。
それからは、東京から秋田までの1000kmを自転車で旅する「奥の細道」ツアーに出たり、箱根、沖縄まで足を伸ばした。
結果的には、始めてから6年後、喉頭癌に罹り、療養を余儀なくされてしまうのですが、
その6年間は、
「年老いても息子を守れる自分に近づいている」
そんな充実感に満ちていたに違いありません。
私もあと、1年4ヶ月で50歳を迎えます。
今からでも始まるのは遅くない。
「80歳で33歳の息子の救出に向かえる父」
を目指して、「ゆっくり焦らず」
キヨシローのいう、
LSD “Long Slow Distance”
を、「発想の転換」でモチベーションにして、身体を鍛えておこうと思います。
まずは、ボルダリング継続!