思い出してみる2ー 子供の頃好きだったこと その1
たまにはレモネードが飲みたいな、と思って冷蔵庫を覗いても、ないからと諦めるが、野菜カゴにレモンが、戸棚に砂糖があることに気づかない。
こんばんは。 Kiです。
Start Up Weekendが終わってからというもの、体調が最悪でした。
それに加えて、台風。
低気圧が来ると、途端に調子を崩します。
身体はしんどいし、精神的に落ち込むし。
悪い流れを断ち切るべく、ほぼ3週間ぶりに鎌倉の山を歩きました。 トップの写真がそれです。 写っているのは、アシベニイグチという毒キノコ。
今日は、歩きながら考えたことのお話です。
昨年の9月終わりくらいから、この鎌倉の山歩きを始めたので、来月にはもう1年。
すっかり歩き慣れた道。
歩き始めた頃は、全てが楽しくて。
登山道に生えているキノコ、草花にいちいち足を止めて。
ゴールの逗子駅まで、ほぼ2時間15分。 歩数では20,000歩近く。
逗子では、農連でお野菜買ったり、新鮮なお魚も選べて。
毎日毎日、歩くのが本当に楽しかったです。
しかし、同じ道を何度も歩くと、当然、飽きて来ます。
同じ景色。 同じ草花。 同じお店。同じお魚。
すると、歩くモチベーションが次第に下がって来ます。
だんだん、歩くのが苦痛になっていきました。
そして、歩くのをやめると、生活が次第に乱れていきます。
朝寝坊も平気になったり、日中にやるべき事を、眠気や疲れを理由にサボったり。
「これはマズい」
そうして、再び、山を歩き始めます。 そして、飽きるとまたやめて、の繰り返し。
これを繰り返していく内に、次第に、景色とか、草花とか、ゴールのお買い物とかが、気にならなくなって来ました。
その代わり、歩きながら色んなことを考えるようになりました。
「試験終わったら、あんなことしよう。」
「自分は、本当は何やりたかったんだろう」
「前職で、こんな働き方いつまで続くんだろ、とか思ってたなー」
色んな考えが浮かびます。
ある日、これもふと、思いつきました。
同じことを繰り返し繰り返しする事で得られる事もあるのだと。
今はお休みしていますが、合気道の稽古は、同じ技を飽きても繰り返し繰り返しやります。
仏教で言えば、比叡山に千日回峰行という、7年間かけて行う荒業があり、毎日同じ道中で260箇所を礼拝しながら、約30 km を平均6時間で巡拝します。(TBS クレイジージャーニーでも紹介されたので、ご存知の方も多いはず)
これらの例は極端ですが、同じ道を繰り返す事で、自分の目が外から、どんどん内に向いて来る事が実感出来るようになりました。
京都には、哲学の道があります。
西田幾多郎など、昭和初期の哲学者達が歩いて、構想を練った道。
ウィーンには、ベートーベンが歩いて楽想を練った小道があります。
偉大な業績を成し遂げた人、長年にわたる荒業を完遂した修行者。
これらの人達は、やはり同じ道を歩く事によって、外の余計な情報に惑わされる事なく、内にある思考を研ぎ澄ませて行ったのだろう。
何度も同じ道を歩いていると、そんな事も、考えるようになりました。
今日の私は、歩いている時、気づくと、「子供の頃に好きだった事って、何だろう」と考えていました。
自分が、社会の事情に合わせて、少しづつ、純粋に楽しい、という感情に蓋をして、社会人としてやらなければならない、という事に没頭していったのは、いつからだったのか。
盲腸を患ってから、歩く気力を失っていましたが、やっと、再開できたのを機に、この、
「子供の頃、純粋に好きだった事って何だろう。」
の思考を、もう少し深めて行こうと思いました。
明日、歩くか、まだ決めていませんが、考えた事を、再び、このブログに書くつもりです。