思い出してみる3ー子供の頃好きだったこと その2
レモンパイに、レモンだった頃の記憶があるのなら、レモンパイになるまでの過程も、忘れはしないだろう。
こんばんは。 Kiです。
今日は、午前中、鎌倉の山歩きから、鎌倉小町通りをショッピング巡り。
夕方からは、妻の友人夫婦で、8月限定のイベント、『ナイトズーラシア』へ。
どちらも、結構な混雑で。
それなりに疲れました。
汗を大量にかいて。
体重を測ったら、体重が64kgに。
標準が68-70kgのKiは、この体重は夏バテ黄色信号。
これからは沢山食べて、あと3kgは増やすつもりです!
さて、今日は、前々回ポストの続きです。
『子供の頃好きだったこと』
「え、こんな事、ブログネタにならないんじゃない?」
「有名人じゃあるまいし。 一般人が子供の頃の話して、誰も関心持たないでしょ!」
その通り。
と、1人ツッコミして、なかなか、先へ進まないんですが。
はっきり言うと、ブログとしては、最もつまらないネタの1つかと。
でも、やはり、書きます。
毎日、試行錯誤の日々を送っている私は、これから、(少々大げさながら)様々な人生の決断が待っています。
理屈だけではどうにもならない、大きな壁も感じています。
そこを乗り越える方法を、私はまだ掴んでいません。
今までの経験が生きる部分もありますが、そこに捉われず、発想を大きく転換する必要があると思っています。
この、『子供の頃好きだったこと』をしっかり思い出す事。
これも、発想の転換に役立つ。
そう信じています。
そんな試行錯誤を記録すること。
それも、このブログの大事な役割の1つ。
だから、やっぱり、書きます。
ここから先は、独白調の内容です。
独りよがりな文章が続きます。
生まれてから幼稚園の頃まで。
好きだった事。
エレクトーンで、童謡を弾いたり。
♫どじょっこだのー、ふなっこだーのー
って、喜んで歌ってたなー
プラレールも大好きだった。
父がプラレールを買って、会社から帰ってくるときは、待ちきれずに、外で立ちんぼで父の帰りを待っていた。
幼稚園で鬼のお面を作ったのも、楽しかったなあー。 小さい頃から、しっかり丁寧に作る性格だったかも。
空想も好きだったな。
家の中に、白い画用紙を大量につなぎ合わせて、でっかいロケットを作って。
弟をそのロケットの中に入れて、驚かせようと思ってた。
支柱もなしに、画用紙を繋ぎ合わせれば、ロケットができるって、信じてた。
小学校の頃って、何が好きだったんだろ。
プラレールに飽き足らず、父が買ってくれた、コダックの小さなカメラで、近所の小田急線を撮りに行ったな。
朝の一番電車に乗って、小田原駅や、東京駅、上野駅に、写真撮りに行ったな。
機関車、客車、気動車。
型式も全部覚えて。
家族で車に乗っている時。
電車の線路を見つけただけで、もうワクワク。
線路の側に住みたいって、本気で思ってた。
毎日、いつも色んな電車が見れるなんて、何て幸せなんだろうって。
線路の側に住む夢を、その頃何度も見た。
電車の絵を描くのも好きだった。
電車の絵を描いては、自分の部屋の壁一面に貼ったり。 かつての幼稚園の先生にプレゼントしたり。
小学校高学年になると、鉄道好きの友達にも影響されて、自分オリジナルの時刻表を作ったり。
寝台特急『富士』の、東京から西鹿児島まで24時間25分。 停車駅全部言えるか、で友達と競ったな。
電車が何より一番好きだった。
他には、スーパーカー消しゴム集めたり。
記念切手集めたり。
小6あたりから、ゲームセンターに出始めたコンピューターゲーム。
『クレイジークライマー』が大好きだったなぁ。
釣りも好きだった。
今はもう、開発されて小さくなっちゃったけど、その頃は、まだ自然に近い形で川が残っていて。
時々、亀が釣れたり。
父もたくさん、川に連れて行ってくれたな。
小学校では、部活でサッカーやってたし、習い事も習字、水泳、エレクトーン。 途中からは公文も。
でも、一番楽しかったのは、やっぱり電車。
そして、釣り。
生き物図鑑を見るのも、大好きで、魚や虫の名前も、図鑑で覚えた。
こうして書いてみると、自分は、一人で没頭出来る事が好きだったな。 逆に、サッカーの様な、チームスポーツ、苦手だったかも。
その傾向は、今も変わらない。
一人で何かに没頭している時間が、一番好きだ。
そして、こんなにたくさんの経験をさせてくれた、父と母。 本当に、感謝しても、感謝しきれない。(続く)