批評してみる1ー映画「未来のミライ」は、山下達郎と大好きな旧式電車が勿体なさ過ぎる
子供の頃に食べたレモンの純粋な酸っぱさは、大人になったらもう経験できない。 余計な雑味まで、分かってしまうから。
こんばんわ。 Kiです。
今日のお題は、タイトルの通り、映画の感想です。
相も変わらず、試行錯誤を繰り返しているこのブログ。
テーマもどんどん拡散しています。
でも、いいんです。
試行錯誤と、新たなチャレンジを記録することが、このブログの目的。
ですので、今日は、やったこともない、映画の批評にチャレンジしてみます。
以下、ネタバレですので、これから見る方は要注意!
私は、山下達郎の大ファンです。
Tokyo FMの「Sunday Song Book」は、毎週欠かさずRadikoのタイムフリーでチェック。
もう20年以上、彼がラジオでかける音楽に癒され、励まされ。
彼の、真摯な音楽作りへの姿勢と、一言えば百返されそうなほどの理屈っぽさや、好き嫌いがものすごくはっきりしていそうな人柄も含めて、真似はできませんが、影響は確実に受けています。
挙句の果てには、彼が若い頃読んで感銘を受けたという本も読んでみたり。
10年前から再開したコンサートツアーにも、ほぼ毎回、欠かさずに見に行っています。 今年のツアー "Performance 2018"、6月29日@NHKホールも参戦してきました。
そのコンサートでも、「新曲」として演奏されていた、「ミライのテーマ」。
最初にラジオで聞いた時は、やや地味に感じたこの新曲でしたが、聴けば聴くほど良くなるこの曲。
ライブでも完璧に再現されていました。
今では、この曲のサビのフレーズ、
「Cute Cute! ほおずりして・・・」
が、頭から離れません。
この素晴らしい曲がオープニングを飾る、映画「未来のミライ」
期待に胸を膨らませて観に行きました。
細田守監督の映画は、1人で劇場で観た「おおかみこどもの雨と雪」で大泣きさせられた経験があり、「人と人の関係や、家族の絆をとても丁寧に描く監督だな。」と感心していました。
よって、今回も、家族の絆を軸に、ステキな冒険ファンタジーが繰り広げられるんだろうな、と信じて疑いませんでした。
そして、鑑賞から約10日。
今、頭の中に空しく響く「ミライのテーマ」
観た直後の感想は、「激しくつまらない。」
これだけでした。
それ以外、何の感想も出てこない。
冷静に、なぜつまらないのか、そして、そこに隠された良かった点をまとめるには、それなりの時間が必要でした。
以下、私の考察です。
なぜつまらない映画になったのか。
それは、監督の個人的経験、思い入れや趣味が出過ぎてしまって、肝心なストーリーが犠牲になってしまったからだと思います。
主人公は、4歳の男の子「くんちゃん」。
出版社勤務のお母さんの愛情を一心に受けて育ったくんちゃんの日常は、妹の「ミライちゃん」が生まれたことで、一変します。
お母さんは、育休から復帰して、働くことを選択。 育児は、勤務先を辞めてフリーになった建築家のお父さんが担うことになります。
監督自身も、小さなお子さんがいるようで、「育児パパの経験」が、映画前半の主要なテーマになります。
私も、育児真っ盛りですから、くんちゃんのお父さんが、料理、洗濯に悪戦苦闘し、建築の図面作業中に、くんちゃんに妨害されたりする所に、
「あるある!」
とうなずきたい所ですが、
「だからどうした?」となって、あくびが止まりませんでした。
「ドラマ」は、共感に加えて、感動を呼んでこそ、「ドラマ」となり得るもの。
「あるある」だけでは、共感しか生みません。
監督は、男の育児の苦労を伝えたかったのでしょうが、そこから先のドラマが見えてきませんでした。
こうして退屈な「あるある」シーンを通り過ぎた後には、意味不明なパラレルワールドが登場。
くんちゃんが突然犬になって駆けまわったり、高校生のミライちゃんと謎の男が、くんちゃんのお父さんに気づかれずにひな人形を取り戻そうと10分以上も悪戦苦闘したり。 「これ、必要?」というシーンが連発。
大きくなったミライちゃんがやってきた理由もよく分からず、「謎の男」の役割も分からず、登場人物の必然性を強く感じない。
一方、この映画でいいな、と思える点は、未来の東京駅のシーンと、バイクに乗る青年(くんちゃんのひいじいじ)のシーン。
ファンタジーとしてのハイテク東京駅にふさわしい映像美(おそらく、海外の映像制作会社が作ったと思われる)。
くんちゃんが、東京駅で身元が確認できない子供が強制的に乗せられる「恐ろしい」新幹線に引きずり込まれるシーンは、間違いなくこの映画のハイライトです。
また、くんちゃんをバイクに乗せて疾走する青年(声:福山雅治)のシーンも、家族の系譜が綿々とつながっていく様子を表していて、ストーリーに必然性を与えています。
でも、でもです。
全て、後手後手です。
東京駅のシーンも、青年のシーンも、映画の後半部。
前半の退屈さと、唐突さに頭がぼーっとした身には、もうこれらのシーンに感動する余力が残っていません。
映画を取り巻くものは、素晴らしいのです。
山下達郎の歌、オープニングの空中から見下ろす映像、くんちゃんの表情、監督の趣味モロ出しの電車の数々(EF58機関車とか)。
でも、肝心のストーリーが、陳腐に終わっていると思います。
監督の個人的思い入れが強すぎて、「他人の感動を呼べる」ストーリーにするための客観的な視点が欠けてしまったのか。
それとも、色んな人の意見や主張を「大人の事情」で取り入れざるを得ず、総花的なプロダクトになってしまったのか。
エンディングも、生命のつながりを見せる意図を強引にまとめた感じで、唐突な終わらせ方。 ジブリの「ハウルの動く城」を思い出しました。
あの映画も、激しい戦争を、女王が一言「終わらせましょう」と言って終わり、の唐突さにズッコケた記憶があります。
もし、私が今育児中でなければ、
「この映画に共感できないのは、経験が足りないからだ。 だから、子供が出来たら、もう一度見てみよう」
と思ったはずですが、
私、これでも育児中なので、
感動できるのは、今しかなかったはずです。
それでも面白くなかったのだから、将来、もっと共感、感動出来るはずもない。
テレビで妻と子供と見るかもしれませんが、1人で見ることは、もうないです。
山下達郎とディテールが勿体なさすぎる、残念な映画でした。
このリベンジは、期待に期待を重ねて、前作から14年待ち続けた、「インクレディブルファミリー」を見て、晴らすつもりです!