まとめてみる2ー実例、「相手に尊敬を払う」
レモネードを出されて、飲むだけの人は、使ったレモンの産地などに関心を持つこともない
こんばんわ。 Kiです。
盲腸炎が「完治」するまでは、あまり表立って行動できないので、ブログネタが早々に尽きてしまいそうで心配です。
以前のポスト「まとめてみる1-夫婦が仲良く暮らす8つの秘訣」は、一般的なお役立ち情報として書きながら、実は、過去の私に向けた反省として書いたものでした。
しかしながら、妻からは、
「読んでる内に、実例が出てくるのかなー、と思ってたけど、出てこないから飛ばし読みした。」
との厳しいコメントが出ました。
それにお応え?して、私自身の実例を書いてみたいと思います。
私の恥ずかしい過去をネット上に書くのは正直抵抗があるのですが、ブログを始めた当初に決めた、「ありのままを書く」の趣旨に沿って、実例を述べていきます。
Kiは元妻と離婚しています。
その原因は数あれど、その内の一つが、「相手に尊敬を払う」ことが出来なかったことです。
「尊敬」とは何でしょうか?
ちょうど、これを書いている傍に「広辞苑 第5版」があったので、引いてみました。
そん・けい【尊敬】
他人の人格・行為などをとうとびうやまうこと。 そんきょう。「-の念を抱く」「ーを払う」「私のーする人」
つまり、尊敬を払う対象は、主に2つあります。
1.人格
2.行為
そこで、私の実例は、この2点から、まとめてみたい思います。
1.人格
私は、20代の頃は多くの「焦り」を抱えて、イライラしたり、落ち込んだりすることが多い時期を過ごしていました。
「やりたい仕事があるのに、それが出来る機会が会社にない。」
今思えば甘い考えですが、そのように嘆いて、当時住んでいた社員寮で一人悶々としたり、結婚後も妻の前で暗い顔をしていました。
転職しようか、と思っても、自分に自信がないので、必死で探すことはなく、たまに新聞広告に載っている畑違いの求人募集に応募して落ちては、また落ち込んだり。
妻は、そんな私の姿を見て、当時、「あなたはうつ病。 病院へ行って!」とよく言っていましたが、当然、自分にうつ病の自覚などあるはずもないので、病院へ行くことはありませんでした。
そんな頃、30になる手前に、会社から海外のビジネススクールへ派遣されるチャンスが舞い込んできました。
ビジネススクールを受験するためには、様々な準備が必要になります。 受験予備校に通ってTOEFLやGMATと呼ばれる試験の対策をしたり、学校に提出するエッセイを書いたり、推薦状を用意したり。
こうした頃が、私の妻に対する「人格への尊敬」を最も忘れた頃だったと思います。
当時の自分は舞い上がっていました。
「ビジネススクールに行けば、これまでの、将来のキャリアに関するモヤモヤが解消される。」
また、こんな風にも思っていました。
「海外に行くのだから、妻が協力して当然。」
こうした思い上がりから、どんどん妻を見下すようになっていきました。
前妻は、自分が不満に思ったことをその場で吐き出さず、溜め込んでしまう人でした。
そのため、何事も慎重派で、行動も、反応も(当時の私から見ると)遅く、海外へ行く準備も、引っ越しも、とにかく慎重に慎重を重ねました。 そうした妻に対して、私もイライラを募らせていきました。
当時、どんな言葉を妻に浴びせたのか。 自覚がなかったせいで、よく思い出せません。
ただ、誰かと話している時に、妻の前で、「この人頭悪いから」とか、「のろいから」という言葉を口にしていたのは覚えています。
今思えば、これは妻の人格の否定に他ならなかったなあ、と思っています。
2.行為
当時の私は、恋愛対象の基準が、「尊敬できる人」ではなく、「自尊心を満足させてくれる人」でした。
つまり、自分より「劣る」人間を側に置くことによって、自分のコンプレックスを解消し、自己満足を得たかったのです。
だから、当然、元妻を尊敬することなど考えもつきませんでした。 よって、妻は、こうでなければならなかったのです。
・自分より勉強が出来てはいけない。
・自分より行動的であってはいけない
・自分より活躍していてはいけない
だから、妻が海外で英語を喋らなくて困っていることに、優越感を覚えたり、車の運転ができない事を馬鹿にしていました。
当時を振り返ると、あの頃の私に欠けていたのは、
「何気ない相手の行為からも、尊敬出来るところを探す」
ことだったと思います。
勉強ができる
仕事が出来る
人より多く稼ぐ
こうした「分かりやすい」能力だけが、人間の価値を決めるのではありません。
例えば、一見、とても尊敬に値しない相手の能力も、
- 無口だから、喧嘩にならなくて済む
- お金に関して疎いから、お金の事で悩まないで済む
- 一般常識を知らないけど、知らないから、余計な「常識」に捉われないで済む
こういう見方もできるのです。
そして、その伴侶は、相手のそんな一見劣った「能力」によって、多くの恩恵を受けているのです。
私の例で言えば、ビジネススクール在学中に勉強に集中出来たのは、妻が英語を喋れず、ビジネスの知識はなく、お金にも疎かったからだ、と、ずっと後になって気付きました。
自分よりも優れた人だったら、ジェラシーで勉強する意欲も失っていた事でしょう。
当時はそんなことも気付かず、妻の能力を馬鹿にしたり、喧嘩になった時は、「日本に帰れ!」と言ってしまったことさえありました。
以上、元妻に対する尊敬を失っていた自分について、まとめてみました。
「若さ」だけでは片付けられない、大きな過ちです。 その代償を、アメリカから帰国後、たっぷりと支払うことになります。
これをお読みになった皆さんが、伴侶に対して、ほんの少しでも、「尊敬」を払うようになり、願わくば、口に出して、それを伝える事ができるようになったら、私も嬉しいです。